日本人が大好きな「ハーバード式教育」が、日本の教育に「ほどんど役立たないワケ」

为什么日本人喜欢的 "哈佛式教育 "对日本的教育 "没什么用"。


日本とは、いまだ謎に満ちた国である。問題も山積している。
そんな日本で生きていくために、さまざまな謎や論点を正しく捉え、私たちが当然だと考えている常識や固定観念をときほぐし、問いなおすことが必要である。
例えば、日本人が大好きな「ハーバード式教育」というのは、一体どれほどの妥当性を持つのだろうか。「シリコンバレー式教育」は一体どれほど「正しい」のだろうか。

日本仍然是一个充满神秘感的国家。 它也充斥着各种问题。
为了生活在这样的日本,有必要正确把握各种谜团和有争议的问题,并解开和思考我们认为理所当然的常识和成见。
例如,日本人非常喜欢的'哈佛式教育'的有效性如何? '硅谷式教育'又有多'正确'?
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「ハーバードで見た」の妥当性
ハーバード大学やシリコンバレーで見た、という個々人の体験や海外視察に基づく教育政策提言がなされるのをしばしば目にすることがある。
例えば、文部科学省のヒアリングなどでも、シリコンバレーのあるカリフォルニア州・ロサンゼルスで体験した教育に基づく教育政策提言がおこなわれている。
しかし、このような提言というのは、日本の教育政策に対して妥当性を持つのであろうか?
通商政策や金融政策などと異なり、教育政策の分野では、決して普遍的とは言えない特定個人の体験に基づく教育政策提言がなされやすい傾向がある。

我在哈佛看到的现实意义
我们经常看到很多人去海外看了哈佛大学和硅谷后,提出了各种教育政策建议。
例如,在文部科学省举行的听证会上,根据硅谷所在的加州洛杉矶的教育经验提出教育政策建议。
但是,这样的建议对日本的教育政策是否有效力?
与贸易政策或金融政策不同,教育政策领域的建议往往是基于特定个体的经验,不具有普遍性。
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なぜなら、この世界では依然として6700万人以上の子供が小学校に行けていないので全ての人とは言わないが、教育はほぼ全ての人が経験するものであるため、本来政策分析に必要な知識やデータ分析などのスキルを持ち合わせていなくても、みなが一家言を持てるためである。
そして、理論的・実証的な裏付けがなくても、ハーバード大学やシリコンバレーというネームバリューが、このような政策提言にもっともらしさを持たせる。
博士号レベルの専門性を持った教育政策の専門家が習得すべき知識やスキルは、教育経済学や教育の政治学など多岐にわたるが、その一つに国際比較教育学が含まれる。

教育几乎是每个人都会经历的事情,虽然不是全部,因为这个世界上还有6700多万儿童没有上过小学,但几乎可以说对于教育,每个人都可以有发言权,即使他们不具备政策分析所需要的知识、数据分析和其他技能。
而且,即使没有理论或经验上的支持,哈佛大学和硅谷的名声价值也会使这种政策建议更有说服力。
具有博士水平的教育政策专家需要掌握的知识和技能包括从教育经济学到教育政治学,其中之一就是国际比较教育学。

なぜ国際比較教育学が必須なのかというと、ある国や地域でおこなわれている素晴らしいとされる教育システムから学び、自国の教育改善のためにそれを取り入れようとする際に、その教育システムを取り巻く文脈を吟味して、自国に導入した際にそれが機能するのかどうか判断する能力が、教育政策の専門家には必要だからである。
そこで今回は、国際比較教育学的に米国の教育システムを取り巻く文脈と日米の教育を取り巻く文脈の違いに着目することで、「ハーバード大学やシリコンバレーで見た」という教育政策提言の妥当性についてお話しする。

为什么说国际比较教育学是必不可少的,因为当你学习一个国家或地区的优秀教育体系,并试图用它来改善你自己国家的教育时,需要能够检查该教育体系的周围环境,并判断它在你自己的国家引进时是否可行,这是一个教育政策专家必须会的技能。
因此,在这篇文章中,我将从国际比较教育学的角度出发,重点讨论 "在哈佛大学和硅谷看到的 "教育政策建议的有效性,即围绕美国教育系统的背景与日本的教育背景之间的差异。


地域に密着「しすぎ」な米国の教育システム
米国の教育システムはその成り立ちからして極度に分権化されていた。
なぜなら、学校は地域住民の要望に応え、地域共同体を守っていくことがその使命だと考えられていたためである。このような考え方の下では、州政府や連邦政府の教育への介入は、極端にいえば教育の自由を侵害するものとなる。
しかし、教育政策においては分権化と集権化の間に自由と平等のトレードオフが存在する。
分権化されたシステムは前述の通り、地域住民の要望を集約し教育活動に反映させる機能も権限も住民の近くに存在するため、住民が子供たちに受けさせたい教育が容易に実現されやすい。

美国的教育体系 "过于 "地方化
美国的教育系统从一开始就非常分散。
这是因为学校被认为有责任满足当地居民的需求,保护当地社区。 根据这种观点,州政府和联邦政府对教育的干预,在极端情况下是对教育自由的侵犯。
然而,在教育政策的分权与集权之间,存在着自由与平等的权衡。
如上所述,将地区居民的要求集中起来,反映在教育活动中的功能和权限都存在于居民附近,因此居民们更容易让孩子接受到自己想要的教育。

その一方で、分権化された民主主義的に運営されている教育システムの下では、地域内に存在するマイノリティの教育需要(例えば、多言語教育や障害児教育、有色人種のための教育などが当てはまる)が黙殺されやすいだけでなく、地域間に存在する経済的な格差も教育システムにそのまま反映されてしまう。
このようなマイノリティや格差の教育問題を是正できるのは集権化された教育システムである。実際に、近年の米国でも教育を通じて社会経済的格差や人種間の格差を是正する必要性が認識され、教育の集権化が少しずつ進んでいる。
この結果、かつては10万以上存在していた学区の数も、1万3500程度まで減少したものの、少なくとも過去10年ではそれ以上の統合は進んでいない。さらに、それでもなお州政府や連邦政府では、これだけの数の学区の一つひとつで住民の要望を取りまとめて反映させることは不可能であり、教育の自由が侵害されるとして集権化に反対する声も根強く存在している。

另一方面,在一个分权的、民主管理的教育体系下,不仅一个地区内的少数民族的教育要求(如多语言教育、残疾儿童教育和有色人种教育)可能被压制,而且地区之间存在的经济差距也会直接反映在教育体系中。
集权化的教育体系能够纠正这种少数和有差距的教育问题。实际上,近年来美国也通过教育认识到了纠正社会经济差距和人种差距的必要性,教育的集权化正在一点点推进。
因此,曾经存在的超过10万个学区的数量已经减少到13500个左右,但没有发生进一步的整合,至少在过去十年中没有。 此外,即便如此,州政府和联邦政府仍然强烈反对中央集权,理由是不可能让这些众多的学区中的每一个学区都编排和符合民众的意愿,导致教育自由受到了侵犯。


州間の驚くべき「教育格差」
このように米国の教育は依然として極めて分権化されたシステムであるため、州の間での教育格差も、州ごとの経済力が反映され、極めて大きなものとなっている。
米国で最も貧しい州はミシシッピ州で、世帯所得の中央値は約4万6000ドルである。これに対し、ワシントンDCという特殊な地区を除いて最も豊かな州であるメリーランド州のそれは約8万700ドルと、州間の所得格差は2倍近いものとなっている。
そして、子供たちの学力も豊かな東海岸・西海岸で高く、貧しい南部の州では低くなっている。
ハーバード大学のあるマサチューセッツ州はどのような位置づけかというと、米国の中でもトップクラスに豊かな州であり、子供の学力も断トツで高い州である。

各州之间惊人的 "教育差距”
由于美国的教育体系仍然是高度分散的,各州之间的教育差距也非常大,也反映了各州的经济实力。
美国最贫穷的州是密西西比州,其家庭收入中位数约为46000美元。 相比之下,马里兰州是除华盛顿特区特区外最富有的州,其收入中位数约为80,700美元,各州之间的收入差距几乎差了一倍。
而且,在富裕的东西海岸,儿童的学习成绩也较高,而在较贫穷的南方各州则较低。
哈佛大学所在的马萨诸塞州是如何定位的:它是美国最富有的州之一,到目前为止,它的儿童学术成就最高。

実際に、2011年に実施された国際学力調査のTIMSS(国際数学・理科教育動向調査)の数学(中学校2年生)の成績を見ても、561点と極めて高い成績を収めている。これは、514点のフィンランドと比べても極めて高い成績であるし、570点の日本とも遜色ない成績である。
そして、アメリカ全体の平均点は509点で、アラバマ州などは466点しか取れていないことを考えると、マサチューセッツ州の米国での例外的な位置づけが見て取れる。
このように、日本人がハーバード大学から見る米国の公教育というのは、貧しい州に対して手厚い支援をすることなく、その資源を自分たちの州の教育のためだけに使用したうえに成り立っているものであることは理解しておく必要がある。

事实上,2011年TIMSS(国际数学和科学教育调查趋势)国际数学学术表现评估(初中二年级)中,马萨诸塞州的水平是561分,这是一个非常高的分数。 与芬兰的514分相比高了不少,与日本的570分相当。
而当人们考虑到整个美国的平均分数是509分,阿拉巴马等州的分数只有466分时,就可以看出马萨诸塞州在美国的特殊地位。
因此,我们必须了解,在哈佛大学的日本人看来,美国的公共教育是建立在只将其资源用于本州教育的基础上的,而没有向较穷的州提供慷慨的支持。